=== 金沢大学理論物理学研究室の歴史 ===

創立から修士課程の設置まで

理論物理学大講座の前身の物理学科の第4、5講座は、2講座あわせて、教授2、助教授1、助手1の不完全講座として金沢大学創立と同時に 1949年10月に出発した。

当時最も先端の素粒子論を研究する研究室としては、 全国的にも京大理学部、名大理学部、阪大理学部、東京教育大、東北大理学部、東大理学部、広島大、大阪市大、立教大ぐらいで、珍しく充実した研究室と して発足した。全国の素粒子論グループとしても、大変重視したようで、第4講座は量子力学を、第5講座は物理数学を担当することになっていたが、第4講座の方は、ノーベル賞受賞者である京都大学の湯川秀樹教授が併任で 赴任されることとなっていた。しかし、湯川教授がアメリカに招聘されたため、東北大学から赴任された尾崎正治教授と大根田定雄助教授の2人だけで発足した。1951年に堀尚一講師(その後助教授、教授に昇格)が富山大学より 着任し、54年に金沢大学の第2回の卒業生の若狭昭氏が助手(その後助教授に昇格)に採用されてようやく4人のメンバーとなった。 研究室の事務は、松岡(旧姓斉川)喜美子氏がされていた。

当時は、場の理論の経路積分の研究などのフォーマルだが 先駆的な研究や弱い相互作用の研究が活発に行われた。

尾崎教授は54年に九州大学に移り、55年に東京教育大学から田地隆夫教授が赴任した。大根田助教授(その後教授に昇格)の海外出張中の休職を利用して千葉晨講師(その後助教授に昇格、大根田助教授が帰国後、一般教養のポストに移る)が着任した。

このころの研究は、上記の様な研究に加えて、 強結合理論や無時空理論などユニークなテーマも取り組まれた。

61年3月に松岡喜美子氏が退職し、4月から問谷(旧姓高畠)元子氏が研究室の事務として着任した。 63年に大根田教授がメリーランド大学に移り、64年に京都大学基礎物理学研究所から松本賢一助教授が着任した。 若狭助教授は63年から2年間新設された教養部へ移った。64年度末には、千葉助教授が東北大学工学部へ、田地教授が 広島大学理論物理学研究所へ移った。


修士課程設置後、博士課程設置まで

63年の丸の内校舎への移転とあわせて、大学院の修士課程が設置され、65年4月大学院修士課程の完成に伴い、第4講座は素粒子物理学講座、第5講座は核物理学講座と名前を変更した。また、若狭助教授が理学部へもどった。

66年に、山田英二教授が京都大学基礎物理学研究所から着任し、飯塚重五郎助教授が教養部へ着任した。

この頃の研究活動は、クォーク模型の研究で大変活発に行われ、堀教授のカラー模型、飯塚助教授の飯塚ルール、松本助教授の質量公式、山田教授のクォーク間のポテンシャルに関する研究などいい仕事が発表された。

68年に飯塚助教授は名古屋大学に移り、 かわって岩尾秀嶺助教授(その後教授に昇格)が教養部に着任した。71年度末に松本助教授が富山大学に移り、72年に鈴木恒雄氏が助手(その後助教授、教授に昇格)に採用された。84年に問谷元子氏が移動され、 その後の研究室事務に、田中多美子氏が着任した。

その後87年に大学院博士課程自然科学研究科が発足するまでの研究室は、教官の移動はなく、予算の増加が雑誌代の増加においつかず年々状況が厳 しくなっていた。

研究面では、多重発生や弦理論、重力方程式の一般解、 新しい模型、カイラル対称性の破れ、更にアノーマリー、閉じ込め、2次元系、自明性、光的量子化など場の理論の基礎的な研究がなされた。


博士課程設置から現在まで

87年にかねてから切望していた博士課程が設置され早速博士課程の大学院生が入学してきた。若い助手が補充されないままスタッフの高齢化が進んで、 アクティビティがどうしても低下してきていた中で修士課程のみでなく博士課程の院生を迎えられるようになり、更に校費、研究費も大幅に増加し、その上88年に末松大二郎氏が助手(その後助教授、教授に昇格)に採用され、 研究室は全く新しいステージに入った。

89年に久保治輔助教授がドイツから教養部に着任し、88年度に堀教授が、90年度に山田教授が、91年度に岩尾教授が相次いで定年退官され、 若狭助教授も94年に退職された。代わって90年に寺尾治彦氏が助手に(その後助教授に昇格)採用され、94年に青木健一助教授(その後教授に昇格)が京都大学基礎物理学研究所から着任し、96年には久保助教授(その後教授に昇格)が教養部の廃止にともない素粒子研究室に移り若いスタッフが強化され研究も大変活発に行われるようになった。 研究室事務の田中多美子氏が89年に退職され、代わって森広美氏が着任した。96年4月から、講座編成が大講座制へ変更され、素粒子物理学、核物理学講座は理論物理学大講座となった。

87年には、毎年10編以上の仕事を出していこうというのが目標であったが、現在では毎年20編を大きく越える論文が発表されるようになってきている。更に研究費も校費の大幅増に加えて研究活動の活発化に伴い、86年からは 毎年科研費が採用されるようになり、最近では複数の科研費が毎年採用されている。またこの10年間は、研究の情報化が革命的に進行し、研究室のコンピューター環境は大幅に改善され研究室単位では共同利用研を除くともっとも整備された環境のひとつである。

研究の国際化も画期的に進み、スタッフの海外出張は日常的な上に、共同研究も鈴木教授、久保教授を中心に常時おこなわれている。 93年から4年間、日本学術振興会の『日本旧ソ連研究者交流事業』として『モノポール凝縮とQCDでの閉じ込め』という鈴木教授とモスクワの理論実験物理学研究所(ITEP)のポリカルポフ教授との間での共同研究が認められ、実施された。教官あきポストを利用して、95年には、ビタリー・ボルニャコフ 助手が半年、96年には1年間ミヒャエル・ポリカルポフ教授がそれぞれロシアから来日し滞在して共同研究を行った。更に97年にはマキシム・チェルノダブが、99年にはミヒャエル・ポリカルポフが、それぞれ学 振の研究員として2カ月滞在した。99年度からは、鈴木教授とモスクワの理論実験物理学研究所(ITEP)のポリカルポフ教授との 間で、3か年計画の学振の海外共同研究『QCDの閉じ込め機構と双対性』が採択され、実施されており、毎年金沢の研究室のメンバーのITEP訪問やITEP メンバーの研究室滞在が行なわれて、共同研究がされている。99年7月から半年間、ギリシャのアテネ工科大から、ジョージ・ズパノス教授が久保教授との共同研究のため滞在した。

95年に研究室事務の森広美氏が、物理学科図書に移動され、その後、林美恵氏が着任したが、96年に退職され、問谷愛可氏が着任した。 97年11月から、ミヒャエル・イルゲンフリッツ氏が助教授として2年間滞在し99年12月から、出渕 卓氏が助手として赴任した。問谷愛可氏が2000年1月に退職し、研究室事務には、西川涼子氏が勤務されている。 2006年度の時点で教授4名、助教授1名、助手1名と全国の素粒子論研究室 でも充実しており、広い範囲にわたって、大変活発な研究がされている。

現在行われている研究は、クォークの閉じ込め機構の解明、モノポール、カイラルフェルミオン、非摂動的繰り込み群、超対称性理論、超弦理論に基づく現象論、多次元理論などでいづれも国際会議で招待講演を依頼されたり、特別講義やセミナー、学会の特別講演に呼ばれたりして大変活発に行われている。97年の12月には、金沢の研究室が中心に湯川国際セミナー 『非摂動的量子色力学ーQCDの真空構造ー』を京都で10日間にわたって開催し、成功を収めた。99年の10月には、日独セミナー『TFLOPS領域における格子上の場の量子論』を、金沢大学共同利用研究センターと理学部で開催した。

学生も博士課程の学生が3年間で10名程度修士課程の学生が毎年6ー9名程度と教育活動の面でも活発に行われている。 学生、大学院生の教育にスタッフが一丸となって重視して実施しているのが金沢大学の素粒子論研究室の特徴の一つである。