研究ってどういうもの?
中学校、高校で理科や数学に興味を持った、宇宙という言葉にちょっと惹かれる、ニュートンやアインシュタインといった天才たちの世界をのぞいてみたい。ここではそんな人たちへ、物理(特に理論物理学)の研究がどんなものか、できる限り具体的に説明します。
中学校、高校で理科や数学に興味を持った、宇宙という言葉にちょっと惹かれる、ニュートンやアインシュタインといった天才たちの世界をのぞいてみたい。ここではそんな人たちへ、物理(特に理論物理学)の研究がどんなものか、できる限り具体的に説明します。
研究は一言でいうなれば「新しいことを見つける、あるいは生み出す」ことです。現在の物理学の研究では、物理学は大雑把に実験物理学と理論物理学2つに分類されます。どちらも堅そうな雰囲気の言葉ですが、簡単に言えば、実験しながら物理の研究をする人たちと理論的に物理の研究をする人たちで、それぞれ"実験屋さん"、"理論屋さん"なんて呼ばれたりもします。 私たちの研究室はこの理論屋さんの集まりです。実験屋さんの詳しい話は別の研究室にお任せすることにして、ここでは理論屋さんの研究生活を見ていきます。
私たちの研究室で行っている研究のキーワードを挙げると、宇宙の始まり、インフレーション、ダークマター、大統一理論、対称性の破れ、等々、ちょっと知っている人なら興味をそそられるようなかっこいいものが多いです。が、その派手さというかかっこよさとは裏腹に、普段やっている作業は地味なものです。基本的には論文を読みつつ、計算するという作業です。今では毎日たくさんの新しい論文が発表され、インターネットを通じて見ることができます。その中から自分の興味のあるトピックを見つけ、自分なりの切り口で何か新しい法則性や発見がないか考えます。そのために過去の論文も合わせてたくさん読み進めていくことになります。読む、と言っても本を読むように読むのではなく、片手にペンを持ちながら、あるいはコンピュータを使いながら、論文の式や計算を追っていくという作業です。その作業の末、新しい発見が得られれば論文として発表することになります。しかしこの作業は基本的にいつ終わるのかがわからないことが多いです。数日で何かが得られることもあれば、数週間、数ヶ月経っても期待したような結果が得られないこともあります。最悪、何も得られずに終わってしまうことも。。
そう聞くと、理論物理学は孤独な戦いだ、、と思う人もいるかもしれません。しかし研究は個人単位で行うよりも、他の研究者と共同で行うことがわりと一般的です。お互いが違った興味や違った視点でものを考えるため、互いの知恵を出し合うことによって問題が解決しやすくなったり、新しい発見につながりやすいからです。そんなわけで、相手との意思疎通、つまり自分の考えを論理的に正しく伝える力、また相手の意見を聞く力も、理論物理を研究する上では重要になります。
時間に縛られることがあまりない、というのも理論物理の研究の大きな特徴です。つまり、好きな時間に考え、研究を進めることができます。その一例としては、アインシュタイン氏や朝永振一郎氏が、研究室へ向かうまでの時間をあれこれ考えを巡らす大切な時間にしていた、という話があります。一方最近では、メールなどで遠隔地の研究者とコンタクトが取りやすくなったため、国境を越えて研究することも当たり前になっています。また研究が時間に縛られないことから、研究スタイルも人それぞれです。週末はきっちり休む人、平日は6時くらいには帰宅する人、趣味にそこそこ力を入れる人、などなど。また趣味もいろいろです。山登りが好きな人、テニスが好きな人、音楽が好きな人、踊るのが好きな人、野球が好きな人、スケートが好きな人、などなど。
ここまで読み進めてもまだ物理学(あるいは理論物理学)に興味を失わなかった人たち。そんな方々が次に気になるであろうことは、自分が物理に向いているのかどうか、ではないかと思います。物理を選択する判断基準があるのかないのか、ここからは高校生から大学学部生、大学院生の各時期に訪れる将来の選択について、順に話を進めていきます。(ここまでで物理学に興味を失ってしまった人も、一つの参考意見として読んでもらえればと思います。)
高校で物理を選択した人の中には「物理は他の理科教科と比べて覚えることがとても少ない」と感じた人も多いのではないかと思います。(あるいは「物理はわけわからん、嫌い、苦手」と思う人も。。)覚えることが少ないというのは事実です。物理学の基本的な考え方は、基礎となる方程式から出発して、そこから多様な物理現象を説明する、というものです。なので覚えるものは基本的な法則を記述する方程式だけで、あとは論理と計算を間違えなければ正しい答えが出てくるようになっています。まずはこの一連の流れが好きか嫌いかが、判断基準になります。
そんな流れがわりと好きだ、と思う人が次に迷うのは、理学系か工学系か、です。ざっくり言えば、基礎方程式を出発点にしてそこから生み出される多様性に興味を持つ人が工学系向き、一方で、その基礎方程式は一体どこから来たのか、あるいはほかの別な基礎方程式と何か関連はあるのか、もしやそれら2つをいっぺんに導けるようなもっと基礎的な法則があるのではなか、と疑問に持つのが理学系向きと言えます。
工学系の方が就職に有利だ、という意見も耳にします。実際、一般企業で行われてる業務は理学系と比べれば工学系に関連の深いものが多いため、企業側も採用しやすい部分があるのかもしれません。しかし周囲を見てみると、理学系が非常に就職に不利という印象はありません。理学系の思考力を評価する企業も多いようで、1年目から即戦力とはならなくても中長期的な視野で採用を考えているのだろうと思います。
高校では物理でも数学でも「解法の暗記」という勉強でだいたい通用しますが、大学の物理はそれが次第に立ち行かなくなります。ある程度は具体的な問題で学ぶ必要がありますが、たくさんの問題を解いて覚えこみ、問題を見たらすぐに解ける、ということはあまり意味をなさなくなります。それよりも、ひとつの問題をじっくり考えること、あれを思い出せは解けるはずと思ったら、それを思い出すために自分がわかるところまで戻り、ひとつひとつ導いて思い出す、そういったプロセスが重要になってきます。
それと同じくらい大事になるのが、疑問からあれこれ考える一連のプロセスが好きか嫌いかです。大学では学年が上がるごとに専門性が高まり、内容も難しくなっていきます。なのでそういう思考のプロセスがあまり合わないと感じたらあまりそこにしがみつかずに、自分が面白いと思えるものを探すほうがいいと思います。一言で言えば、それが好きか嫌いか、自分の感覚をよく観察する、ということです。
また物理の中でも理論物理学を専門にしようとするならば、量子力学を学んだ時の印象が一つの基準になります。量子力学は古典力学で培った物理的直感は違った概念を与えます。その議論を正確に展開するために、線形代数や複素関数などの数学をフルに使います。これまでにない新しい概念、あるいは原理から出発して数学的な整合性を利用して計算を行い、物理現象の予言を行う、そういったプロセスがしっくりくるかこないかは、理論物理向きかどうかの判断の材料になると思います。
実際に大学院の進学先を選ぶ際には、行きたい研究室の教官や大学院生と話をするのがおすすめです。行きたい研究室と4年次に配属される研究室が同じであれば、それはやりやすいと思います。違ってる場合でも、積極的に研究室を訪問するといいです。自分がやりたいことをやるために2年、あるいは5年過ごす場所なのだから、自分の目的が果たせそうな研究室なのかどうか、自分の目で確かめれば、後悔のないよりよい決断が下せるはずです。
ここでは理論物理学の研究室(具体的には私たちの研究室)に進んだとして話を進めます。博士前期課程ではほとんどの時間が研究のための勉強に費やされます。(教科書を読みながらゼミ形式の勉強。)その勉強をベースにしつつ、自分がどういうトピックに取り組んでみたいかを探します。(その際には直接色んな教員のもとに行って話を聞いてみるのが一番効率的。)トピックが見つかれば、その研究に向けて学術論文を読み始めます。そうやって学んだことをまとめ上げることで修士論文となります。場合によってはその過程で過去に行われていないような新しい結果を出せることもあります。これが勉強から研究につながる瞬間です。
博士前期課程は2年間という短い期間なので、新しい発見をするような研究まで到達することは実際には難しいです。しかし、その勉強過程や、教官や他の大学院生との議論の中で学ぶ論理的な思考力や、問題の本質を探す視点については、博士前期課程の2年だけでも多くを学ぶことができます。
もう少し腰を据えて勉強して研究につなげたい、あるいは2年じゃ何も学んだ気がしない、学ぶことがたくさんあることがわかっただけだ、という感覚を持つ人は、博士後期課程へ進むといいと思います。プラス3年間という期間で、勉強をしながら研究し、その成果を発表するなど、研究者とほぼ同等の研究活動をすることになります。そこでは大学の一研究室という枠を越えて、国内・国外での活躍が始まります。
博士後期課程終了時には、ポスドク研究員として研究を継続するか、一般企業に就職するか、教職につくか、などの選択肢があります。この選択は多くの人にとって難しい選択になります。その時の自身の研究の進捗状況、あるいは周囲の研究の状況、それだけでなく自身の将来設計の問題も関係してくるため、人によって判断基準が分かれます。一つ言えることがあるとすれば、多くの人と相談して意見を聞き、それらをもとに最終的には自分で決断する、ということだと思います。これはもちろん研究そのものと関係なく、"成果"として現れるものではありません。しかし思考の果てに決断するというプロセスが、その決断の先の人生でも大きな財産となるはずです。