所属

金沢大学 理工研究域 数物科学系

理論物理学研究室

経歴

2001年3月 福島県立安積高等学校卒業

2005年3月 東北大学理学部物理学科卒業

2010年3月 東北大学大学院理学研究科物理学専攻博士後期課程修了

2010年4月 - 2010年8月 東京大学宇宙線研究所 JSPS 特別研究員

2010年9月 - 2013年9月 カリフォルニア工科大学 ムーア研究員

2013年10月 - 2015年2月 ドイツ電子シンクロトロン (DESY) 研究員

2015年3月 - 金沢大学 テニュアトラック助教

以下経歴の補足です。

なぜ物理? ー 高校まで ー

どこまで記憶をさかのぼればよいのかと思って思い出してみると、もともとの興味の対象は天体だったと思います。小学生の頃はただ漠然と、宇宙という巨大なスケールに魅力を感じていました。スペースシャトルの打ち上げが盛んになっていた時期でもあったので、それに影響も受けていたと思います。まあよくありがちな、どこにでもいそうなちょっとませた小学生だったと思います。

中学に進んでからは理科の科目が特に面白いと感じながら勉強していました。(ちなみにこの時期からいわゆる文系科目に対する苦手意識が出来始め、答えが一つに見えない国語の試験や、覚えるだけに見えた社会はあまり好きになれませんでした。注:ここはだいぶ主観が入っています。)中学の理科の授業で印象に残っていることのひとつは、ニュートンの慣性の法則を学んだ時です。当時僕が習った理科の先生は、ニュートンの慣性の法則の重要さを強く強調していました。慣性の法則があったからこそ、その後の科学分野での大きな発展に繋がったのだ、と。その時に先生は「これは(自分が)物理専攻だった影響もあるけど」という付け足していました。当時は物理という言葉すら知らなかったですが、物理学というものを意識したのはこれが初めてだったかもしれません。

高校に入ってからはまず化学が必修科目だったのですが、残念ながらこれがあまり好きになれませんでした。覚えて数字の計算、のくり返しで。。後の文理の選択の際には当然理系を選択。その際理科をもう一つ選ぶ必要がありましたが、化学が期待していたような内容ではなかったせいか受験のため、という消極的な理由で物理を選びました。が、物理の授業が始まってみるとこれがとても面白い。一言で言えば、なぜ?という疑問から出発して、そこから様々な観察を元に考えることの面白さを体感できた授業でした。考える対象は物理に限らず、世の中のいろいろなことについてでした。これは当時学んだ先生のおかげだと思います。しばしば物理は、公式の暗記、日常と離れている、などと言われてしまいますが、物理はとても現実主義的で、かつ、応用範囲の広い学問なのだなと思いました。

興味を持った物理をもっと学びたいと思っていたので、大学進学希望でした。そこで学部として考えていたのは理学部と工学部。(母には医学部や薬学部を勧められましたが、医学に興味がないのと化学もあまり好きではなかったのできっぱり却下。)当時聞かされていたのは、工学部なら就職に有利、理学部は研究者志望の人向け、という情報でした。どちらが自分向きかははっきりとはわからなかったですが、いろいろ自分なりに考えた挙句、最終的にはえいっ!と理学部を選びました。おそらく研究者という職業に憧れがあったのだと思います。憧れや夢ではメシは食っていけない、と母に何度も指摘されました。母が薬学部を勧めたのも薬剤師の需要は多い、というのが大きな理由だったと思います。この点は確かに事実で、将来職につけなければ当然生活していけないわけなので、自分なりには悩みました。結局自分の向き不向きや性格は自分で判断したほうがいいと当時自分なりに考え、自分の興味の方向へ進むことに決めました。

受験にはえらく苦労しました。とにかく国語がいくら勉強してもダメでした。社会で選択した地理もあまりよくなく、さらに英語は嫌いじゃなかったはずなのに試験勉強をしてるうちに苦手意識が芽生えてしまいました。その結果、センター試験で大失敗をして第一志望を諦めざるを得ませんでした。国公立後期試験で何とか合格しましたが、運がよかったとしか思えません。受験がまわりの人よりも長く精神的に辛かったですが、親にはおそらくそれ以上の心配をかけてしまったので申し訳なかったと今でも思います。

結果論かもしれませんが、当時進路について親と意見が食い違っていたことはよかったと思っています。反対されれば自分の主張を見直すきっかけになるし、自分はこう思うという気持ちを持って決めたことは、のちになってうまくいかないことがあっても頑張ろうという力が出るような気がします。(自分で決めたのに諦めたらカッコ悪いので。)それでもどうしても諦めることになっても、後悔はないと思います。

余談:中学、高校と部活はあまり積極的にやっていませんでした。運動は嫌いじゃなかったですが、なぜそういう練習をするのか理解せずに言われるがままに練習するのが嫌でした。そのせいか、まったくぱっとしない青春時代でした。

なぜ素粒子? ー 大学学部生の頃 ー

理学部物理へ進んだにも関わらず、1年生のときはいきなり力学がわかりませんでした。後期には電磁気学が始まり、混乱は深まるばかり。。図書館でひたすら参考書を読みあさる日が続きました。一つの転機は後期の演習の講義でした。わからないところを恐る恐るTA(ティーチングアシスタント)に聞いてみると、わかりやくいろいろと教えてくれました。当時聞いていたTAがたまたま素粒子理論研究室の大学院生で、そのとき初めて大学院生がどういうものかを知ることができたのも大きな収穫でした。

次の転機は量子力学を学んだときだと思います。しかしまたこれがよくわかりませんでした。がしかし、同時に開講されていた隣のクラスの量子力学の講義のノートを友達に見せてもらうと、ただ式を追っていくだけで内容がよくわかる。それだけでなくこれまで学んだ古典力学・電磁気学とも違う魅力を感じました。このわかりやすい講義をしていたのは(当時の)素粒子理論研究室在籍のスタッフでした。またこの時期から友達と物理の議論をするようになりました。基本人見知りなので、友達の輪を積極的に広げようとしない性格ですが、たまたま何かを質問された時、即答出来ずにあれこれ考えながら話しているうちに、とかそういうことがきっかけだったと思います。

さてそうこうしているうちにもう3年生も終わり。4年次に配属される研究室を選ばねばなりません。興味だけで選べば素粒子理論でした。それまで学びながら、疑問を根本から考える思考の仕方に大きな魅力を感じるようになっていました。ただ素粒子理論という分野で活躍していた歴史上の人物を見ていると、いわゆる天才と呼ばれる面々ばかり。自分がそんな分野に飛び込んでいって、将来一体どうなるんだろうという不安がありました。そんなときに出会ったのが朝永振一郎著「量子力学と私」、「科学者の自由な楽園」という本でした。優しく背中を押されたような感覚で、素粒子理論へ進みました。

4年生の時はのびのびと物理の勉強を楽しんでいました。大学院へ進学することも決め、素粒子理論へ進むことにもあまり抵抗はありませんでした。そのくらい楽しく物理をやっていました。悩んだのは素粒子の中でも超弦理論といった数学的な嗜好の強い分野と、実験と密接に関わった分野(いわゆる現象論)のどちらを選ぶべきか、という問題でした。超弦理論にはだいぶ惹かれましたが、まず素粒子物理学で何が起こっているのかを詳しく知ることが第一だろうと考えて、実験と密接に関わる現象論を選びました。

余談:サークルや部活は何もやりませんでした。はじめは何か始めたいなと思っていましたが、思ってたよりも勉強が忙しかったのと、受験で失敗したせいもあってあまり大学で遊ぶ気にはなれなったからでした。まわりは楽しい大学生活を送っているように見えて自分が寂しい人間に思えましたが、無理にまわりに合わせるのも疲れると思ったので自分のやりたいように過ごせばいいかあ、と思っていました。

素粒子に進んで ー 大学院生の頃 ー

大学院に入ってみると最先端の研究に触れることが増えました。しかしあまりにわからない話が多く、まず打ちのめされました。それでも何とか修士論文を書きましたが、自分が学んだことの少なさ、理解度の低さに愕然としました。自分なりには精一杯やったのですが、それでも全く追いつかない、自分の能力では太刀打ちできないような気持ちになっていました。

そんな状態で博士に進学したわけなので、当然辛い状態が続きました。就職することも真面目に考えました。そんな時に父から言われたのが、2年やそこらで何かできるできないを判断するのは少し早すぎる、もう3年頑張ってみてから決めてもいいのではないか、たとえ3年就職が遅れたとしてもその3年は後になってみれば周囲と比べて大きな差はないだろう、という言葉でした。確かにその通りだと思って、まずできるところまでやってみることにしました。

そうは思ったものの、やればやるほど自分の知らないことが多く出てきて、気がつけば博士終了後の進路を決めねばならぬ時期になってしまいました。しかし情けないことに何か学んだ気がしない、、そう感じて研究を続けることにしました。が、研究を続けられるかどうかはポスドクの応募をして採用されるかどうかにかかっていました。博士論文を書きつつ、ポスドク応募の申請書類を準備、というのが博士課程3年目の秋でした。ただし実際にはその年の5月に日本学術振興会のホスドク研究員へ応募していて、そちらの申請が通ったことが秋にわかりました。というわけで、少なくも研究は続けられそうだという安心感は得られていました。そして年が明けた1月、カリフォルニア工科大学からオファーが来ました。ちょうどその時期博士論文の審査会があり、色々な指摘にうまく答えられずにまたまた打ちのめされていました。こんな状態でいいのだろうかと思いながらも、ありがたいオファーで断る理由はないのでオファーを受けました。この瞬間、夏からはアメリカへ行くことが決まりました。特別海外に憧れがあったわけではありませんでした。(大学学部生の時は海外で生活してみたいなあとは思っていましたが。。)なんというか、なりゆきでそうなってしまった、という感じでした。

今から振り返っても、大学院で学んだことはとても多かったと思います。それは研究面だけでなく、研究をする上での気持ちの持ち方、壁にぶち当たった時どうするか、自分は本当は何がしたいのか、など、生きていく上で重要なことを考えるとても貴重な時間でした。自分の弱い部分を嫌というほと直視し、その中から自分ができることが探す、という日々だったと思います。その過程で重要な役割を果たしたのが、理論物理学を学ぶ上で重要な、論理的に思考するプロセスです。問題の根底にあるものは何か、それを一から考えて解決しようとするやり方は、とても時間のかかる過程ですが、場当たり的ない方法に頼らない姿勢は、長いスパンで見るととても強力な解決策を与えてくれると思います。同時に思ったのは、人間は論理だけでは動かない、ということです。そこらへんのバランスを自分の中でどうとるか、これはいまだに課題です。

ポスドク後の話はまた今度。