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はじめに

私が研究しているのは素粒子物理学という学問です。「素粒子」という言葉はミクロなイメージですが、近年ではこの素粒子物理学は宇宙ととても密接に関わっています。素粒子や宇宙といった言葉の一方で、そもそも「物理」とを聞くだけで難しそうとか、硬そう、とか思う人も多いかもしれません。ここではそんな人が読んでも身近に感じてもらえるよう研究の話をしようと思います。(が、そうなっていなかったらすいません。)

はじまりはささいな疑問

まず研究という言葉を聞いてみて、例えば医学であれば、原因のわからなかった病気の原因を突き止める研究、とか、薬学なら新薬の開発研究、とかイメージしやすいと思います。じゃあ「素粒子」とか「宇宙」とか言って、一体何を研究しているのか?ー この疑問への答えは身の回りにあります。

例として挙げやすいのが磁石や静電気です。磁石ならN極とN極 (S極とS極) の間には反発する力、N極とS極には引き付け合う力が働き、静電気ならプラスとプラス (マイナスとマイナス) の間には反発力、プラスとマイナスには引力が働くことを知っている人は多いかと思います。じゃあこの「力」って何?目に見えないけど、顕微鏡とかで見たら何か見えるの?そんな単純な疑問が、実は素粒子物理学の研究対象です。

自然界を支配する基本的力

"見えない"力は、自然界に4種類あることがわかっています。磁石や電気の間に働く磁力や静電気力は両者とも「電磁気力」という力で一つにまとめて説明できることが明らかになっています。残り3つは「強い力」、「弱い力」、そして「重力」です。「強い力」は我々も含めて物質の元となっている元素、そのおおもとである陽子や中性子を構成する力です。「弱い力」は核分裂や核融合のもとになっている力で、例えば太陽が燃えていられるは弱い力のおかげです。最後の「重力」はいわゆる万有引力のことです。身近な例は地球と僕ら、あるいは太陽と地球が引っ張り合う力です。たった4つの力で、元素といったミクロなスケールから宇宙のようなマクロなスケールまでの物理現象を説明できそうなことがわかってきたわけです。

いやいやそれだけじゃない - 素粒子標準模型 -

見えない"力"が4つあることがわかったけど、じゃあ、その力が働く物質は何でできているのか?その疑問にも現代素粒子物理学はある程度答えられるようになっています。その中核となるのが「素粒子標準模型」です。素粒子標準模型は1970年代に完成した理論模型で、物質の最小単位(つまりこれ以上分割できないもの)として「素粒子」で構成されています。この理論模型が予言した素粒子は現在までにすべて発見されました。(最も最近では2012年に発見されたヒッグス粒子があります。)一言で言えば、現代素粒子物理学は物質同士に働く力の正体に加え、物質そのものの正体まで明らかにできそうなところまできているわけです。

素粒子物理学の目指すところ

すでに話がぶっとんでいると感じている人もいるかもしれませんが、もう少しお付き合いを。。こうみると素粒子標準模型ですべてうまくいっていて、もうそれ以上何もやることないじゃないか、と思われるかもしれません。しかし素粒子標準模型はまだ多くの問題を抱えています。端的に言えば、はじめに紹介したような素朴な疑問すべてに答えきれていないんです。力と物質それぞれの正体がわかってきたけど、力と物質ってそもそも何が違うの?素粒子って決めつけたものは本当にそれ以上分割できないの?宇宙はこれからどうなるの?宇宙はそもそもどう始まったの?云々

素粒子物理学が目指すのは、こうした疑問すべてに答えられるような「究極の理論」を見つけることです。

専門は素粒子現象論、素粒子論的宇宙論

(注:ここは説明していないキーワードをいくつか使っているので、そこはさらりと読み流してください。)素粒子物理学にも実験と理論があります。実験では、素粒子現象の実験して理論予言の検証を行ったり、あるいは誰も予想もしなかったような新しい現象をとらえることを目的にしています。一方理論では、実験結果を説明するような理論を作ったり、あるいは実験に先立って新しい理論を打ち立てる、と言ったことをします。私はこのうち、理論の研究をしています。

理論的な研究にも大まかにいって二つのアプローチがあります。一つは実験を元に理論を組み立てる方法、もう一つは数学的な整合性を頼りに究極の理論の候補を作る方法です。私の専門は前者で、素粒子業界では現象論と呼ばれています。実験を元に理論を作る一方、どういう実験をしたらその理論が検証できるか、といったことも考えます。(例えば、電弱対称性破れの起源、LHC実験での検証可能性、ベクターライクなど新しいタイプの粒子の存在可能性の研究など。)

素粒子論的宇宙論は、主に初期宇宙を研究対象とします。初期宇宙では物質は全てバラバラになり素粒子物理学の法則が宇宙を支配した時代です。そんな過去の時代の情報が、近年の宇宙観測の発展によって高い精度で観測可能となっています。つまり、初期宇宙の観測データを用いれば素粒子物理の研究ができる、というわけです。具体的には、だいぶうまくいっているように思えた素粒子標準模型は、どうも観測された初期宇宙を正しく再現できないことがわかっています。このような事実もヒントに研究をしています。(キーワードとしては暗黒物質、インフレーション、バリオン非対称性など。)

実際の研究の様子

では実際にはどんな風に研究しているのかについて述べたいと思います。(あくまで僕の例です。個人差あり。)基本的には、論文を読む、計算する、共同研究者と議論する、というのが日常です。それの結果として何か新しいことを発見したり未解決な問題を解決したりしたら論文を書く、という感じです。論文を書いたら、arXivという論文サイトに投稿して発表し、その後どこかの科学雑誌へ投稿します。(arXivでは誰でも論文を無料で見ることができます。)投稿された論文はレフリーによって査読され、掲載可というジャッジが下りればめでたく科学雑誌へ掲載されます。(大概の場合レフリーとバトルになる。)

「計算する」と書きましたが、計算に仕方は色々です。ノートにずらずら計算する場合もあれば、計算機を使って数値的に計算する場合もあります。僕の場合、あまりどちらかにこだわりがあるわけではなく、計算したいものに応じて両者を使い分けているという感じです。両者を組み合わせて使えば、無理かと思われるような計算でも頑張っているうちにできてしまうことがわりとあります。要は、何としてもこれは計算しなければ、というものがあれば手段を選ばず手を尽くす、ということかなと思います。(ただし個人的には手計算であれこれ計算するのは好きです。)

研究成果の発表の仕方として、論文執筆以外に、学会や会議での研究発表、あるいはセミナーがあります。学会や会議での発表は、決められた時間内に研究の内容を発表し、質疑応答などを受けます。僕は特にあがり症なので、発表の準備は慎重にします。発表のスライドを作る時点で、すでにえらく時間を費やしてしまいます。作ってみては「うーん、これだと話しにくい、流れが悪い」と感じて書き直す、これのくり返し。ようやく納得できるスライドが出来上がったら、それを当日スラスラ話せるように練習します。スラスラ話せるようになっても、実際に人前に立つと緊張します。スライドばっかり見てたら説得力が落ちてしまうので、正面を向いてかつ自信をもって話すよう努力します。こういうことは、場数を踏んでようやく身についたと思います。研究成果を過剰宣伝するわけではなく、自分が面白いと思う結果を、誤解なくわかってもらいたい、そんな気持ちでいつも準備してます。

一体何が楽しいの?

上の話を読んで、面白そうな研究じゃないか!と思ってくれる人がいる、かもしれない一方で、何が楽しいんだ??と感じる人もきっと多いのではないかと想像します。これもだいぶ主観の入る話ではありますが、僕個人としては、「何だろう、これ?なぜなんだろう?」とひっかかることにまず出会って、そこからそれについて色々考えたり観察したり調べたりして、最終的にその疑問が解けた、という一連の作業が楽しいと感じます。頭のいい人ならば、まずはじめに感じる疑問が、何か物事の本質を突くような疑問で、そこから問題解決までのスピードも速いのだと思います。(つまり着眼点が良く、かつ、その後の論理的思考も速くて正確。)僕の場合、人が受け流すようなつまらないことが気になっていることが多く、周囲に比べてだいぶ時間を浪費しているのは否めないと思います。でもはたから見たらつまらない僕の疑問でも、自分の中でしっくりくる解が得られるとわりと満足感が得られます。

この話は何も研究に限った話ではないと思います。日常生活でも、「おや?」と思ったことに対してあれこれ見て考えることはよくあります。役に立つかといえば、、役に立つ、こともある、という感じでしょうか。笑 例えば何か壁にぶつかったとします。この時大事だと(僕が思う)ことは、状況をどれだけ正確に把握できるか、ではないかと思います。状況がどれくらいまずいのか、そして状況を悪くしているもののなかで、一番シリアスなものは何か、がわかれば、前に進む道が少しずつ見えてくるのだと思います。いうは易し、で、僕もいまだにちゃんとできているのかも怪しいですが、そういうときに力となるのが周りの人だと思います。信頼できる人に話を聞いてもられば、客観的に状況を教えてくれるので、それはとても参考になると思います。人に悩みを話すことは自分の弱さをさらけ出すことなので、なかなか勇気のいることかもしれません。実際僕は学生の時にいろんな人のお世話になったので、そのせいか、いつのまにかへたれキャラみたいなものができあがっていましたが、まあ、自分の弱さは自覚しているのでいいかあ、という感じです。何はともあれ僕にとって一番大事なことは、自分がやりたいことだと決めたことに対して前に進む、ということだったので、それ以外の部分はどうでもいいことでした。

「話をする」という一見難しくなさそうなことも、実は危険がいっぱいな部分があると思います。どうでもいい世間話的なものであればそんなことはないと思いますが(どうでもいい世間話は個人的に好きですが)、大事な話をする時は、どう話せば誤解なく伝わるのかをかなりしっかり考えないと間違った方向へいってしまうことがあると思います。知らぬ間に話の論点がずれたり、感情に流されたり、気をつけなければいけないことは多いです。人間関係では感情が排除できるはずがなく、すべて論理で解決できるはずもないです。しかし、おおもとの原因が何かもわからない状態で、感情に流されるままに関係が崩れてしまったりするのはとても残念なことだと思います。人と人が話す時には、お互いが知らないバックグラウンドがあってその上で話をするわけなので、わかり合うことはそもそも難しいですが、そこを理解して話し合いの場に立つという姿勢は、少なくとも持っていてもいいのかなと思います。

なぜ学ぶのか?

なんで勉強しないといけないの?という疑問は、子供なら誰でも、そして大人になった人たちもきっと子供のころには湧いた疑問かなと思います。いい大学に入っていい企業に就職するため→きっと違う。偉くなるため→これもきっと違う。天才になるため→うーん、勉強して天才になれるんならイエスかもしれないけど、多分違うのでこれもノー。この疑問を今でも考え直すことがあります。それは僕の場合たいてい、何かに疲れたとき、あるいは自分ではどうにもならないような理由で立ち止まったときなどです。自分なりには最大限の努力をしているはずなのにうまくいかない、どうしたらいいのかわからない、そんな状況です。最近はぼんやりと、学ぶことの一番の目的はここにあるのではないかと思います。

一言で言えば、困難に対する恐怖に冷静に対処するため、ではないかと思います。例えば、もし過去に似たような問題に直面していたなら、そのときの経験を活かして焦らずに対処できる。あるいは大きな問題のすべてはどうにもならないけど、部分的に対処できるところを見出してまずそこから解決策を模索する、とか。こう文字にしてみると、なんだ単純なことじゃないかって気がしますが、実際は文章にして数行で終わるような話では決してないことは認めますが、学ぶことの大きな目的の一つは、時に周りの協力も得ながら解決可能な問題を冷静に判断することではないかと思います。

論文リスト

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